ツイッターのタイムラインを眺めていたら レバノンのニュースが流れてきた。 酷い経済状況に対し 国民が抗議し、 政府に退陣を求めるデモが起こっているようです。
Holy shit.
This is Beirut, Lebanon today.
One million people taking over the city for anti-corruption protests.
— Joshua Potash 🆘 (@JoshuaPotash) October 20, 2019
日本のテレビでアラブのニュースを見ていると、 デモの時にタイヤを燃やしたり、 爆弾でたくさんの人が死んだり、 そんな恐ろしいニュースばかりが流れる。
しかし、ゴールデンタイムの有名タレントさんが出るような旅番組には チラリとも出てこない。どんな国もマイナス イメージな出来事と同じくらいプラスのことも毎日起こっている。マイナスなことばかり起こるなど この世には ありえ無い。 何かおかしいとは思いませんか?
テレビの報道を見れば観るほど 知らぬ間にアラブ人は恐ろしい そんな気にさせられていくような不思議。 だから僕は3.11後くらいからはテレビをほとんど観なくなり、YouTubeで国民に対し どの様な報道をしているのかチェックするものになってしまいました。 また子どもの頃の様に純粋な気持ちで テレビを楽しめる日が来ることを祈っています。ただ公平・中立に報道して欲しいだけなのです。
英語が中1レベルの僕は 2013年にレバノンという国へ 一人で行ってみることにしてみました。 理由は 日本のテレビで流れているように 本当にアラブは恐ろしいのか? ということを自分の目で確かめてみたかったからです。
結論を先に言うと、 やはり テレビで知らされることとは逆で 優しい人ばかりで、1度も怖い目には遭いませんでした。イスラムは ひょうきんで フレンドリーなことも知ることができました。
少し前置きが長くなりましたが、 今回はレバノンに行った時に感じたこと をお伝えしたいと思います。 これからアラブに行ってみようと思われている人の参考になれば幸いです。
やっぱり遠い 日本から9000kmくらい
けっこう遠いです。 日本から9000kmくらい離れています。 僕は中部国際空港からエティハド航空で22時間くらいかけて行きました。
- 中部国際空港(NGO) → 北京(PEK) 乗り継ぎ 1時間20分(機内で待った記憶)
- 北京(PEK) → アブダビ(AUH) 乗り継ぎ 3時間15分 (一気にアラブのムード)
- アブダビ(AUH) → ラフィク・ハリリ(BEY)
アブダビの空港は デザインと空間が面白い。 急にアラブの雰囲気を感じられます。
窓からは砂漠の向こうの方に 立派なビルが見える。
色んなコースがあるのですが、 僕の場合は この季節だと こんな感じのコースが授かりました。航空券はSkyscannerや、トラベルコ・フォートラベルなどで検索するとエコノミークラスで10万円前後から あると思います。 正直 かなり長いフライトですので、 こういう時にマイルを使って ビジネスクラスで旅するのも1つの方法かもしれません。
日本人と全く会わない
僕は9日間くらいレバノンに滞在していたのですが、 レバノンから日本へ帰る途中 アブダビで乗り継ぎをするまで レバノン滞在中 1回も日本人に会いませんでした。 街中で すれ違ったりは しているのかもしれませんが。 日本の旅番組によく出てくるような国だと ありえない話ですよね。
帰りのアブダビ空港で 久しぶりに日本語を聴いた時は、 どこの国へ行っても あまり日本人と会いたくない僕ですら 少し ほっとしたのを憶えています。 日本人観光客とあまり会いたくない人には おすすめの国ですが、 日本人がいないと心細くなる人には ちょっと向いていないかもしれません。
しかし、日本人はいなくても 人間はいます。 人間は磁石のような生き物 良い人には 自然と良い人が寄ってきます。 これは『ひとりで海外に行って危険じゃないの?』と言ってくる人に僕がいつも言うセリフ。 日頃の行いが良ければ 必ず誰かが助けてくれるでしょう。 たぶん
意外と小さいレバノン 意外と大きい日本
ひょっとして 日本は小さな国だと思っていませんか? 実は日本って すごく大きな国なんです。 レバノンは岐阜県くらいの大きさで人口600万人くらいの国です。 ですので 日帰りで端っこまで行くことも できます。
しかし、冬は雪で通行止めになる道もあるので 山への計画を立てる時はご注意ください。
下の写真は レバノン杉を観に行こうと山道をタクシーで登っていたら閉鎖されていた写真です。
お時間のある時に 日本より 小さな国が どのくらいあるのか 1度は調べてみてください。 例えばヨーロッパではイギリスもイタリアも日本より小さいです。 でも普段 そんな風に思いませんよね? 僕たちは 意外と 知らぬ間に色んな思い込みをして生きてしまっているのかもしれません。
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昼と夜の気温差が激しい
レバノンは昼と夜の気温差が激しいです。 僕がレバノン滞在中の1月は 昼は18℃くらいあり長袖のシャツ1枚でいけるかな? っと思ったりするのですが、 夕方くらいから10℃近くまで気温は下がってきて コートなしではいられないくらい寒くなってきます。 毎日 この繰り返しでした。 下の写真の様に ヒョウが降る日もありました。
何か脱ぎ着するのが楽な服装で行かれるといいと思います。 僕が行った1月は とても寒くて雨が多かったので 雨具の代わりになるような服が1枚あると 風邪を引かずに済むと思います。 傘だと 海の近くの風が強い観光地などを歩く場合は 横から かなり濡れます。
レバノンは海に面していますし、 山も多いです。 海や山に行かれる時は 平地より寒くなっても良い服装でお出かけください。
山にドライブに行くと標高1000m以上の場所を走ります。 例えば ここは1140m ちょっと断層を観ながら一服した場所です。 普段 近所の山登りする時の 高度計がけっこう役に立ちました。
下の写真はスキー場の近くをドライブ中に撮った写真ですが 標高は1530mです。
山は100m登る毎に気温は0.6度 下がります。
美人が すごく多い
ベイルートの空港に到着し、優しいタクシーの運転手さんにホテルまで送って頂くと、まずフロントの男性がファッション誌に載ってるくらいのハンサムな20代の男性。
その男性に部屋まで案内して頂き 簡単な説明を聴いて、街へ散歩しに行くことにしました。 ホテルを出て 有名なムハンマド・アミーン・モスクまで歩くことに。
すると すれ違う人、 道を尋ねた相手、 立ち寄ったカフェ、 カフェの前を通り過ぎる老人、子ども、 ファッション誌に出てくるような美人の多さに 驚く。 大げさに言っている訳じゃなくて 本当に美人は多いんです。 そしてベイルートはオシャレな人が多い。 お年寄りも子どもも 襟付きのシャツを着られている割合が多い気がしました。
ベトナムでも感じることですが、 フランスの植民地だった所って、 オシャレを気遣う人が多い気がします。 ベトナム観光と同じく オシャレさんが多いので 襟付きのシャツを1〜2枚は 持って行かれることを おすすめします。
お酒は 普通に買えます
イスラム教徒の人が多い国だからお酒は簡単には買えないかな? と思っていたのですが、宿泊したホテルの近所の小さいスーパーとかで普通に買えました。 ウイスキー、ビール、ワイン 何でもあります。
下の写真のレバノンビールは9日間の滞在中に25本くらい飲みました。
ホテルのフロントやタクシー運転手などに『お酒買いたいんだけど』って言えば 近所のお店を教えてくれるます。 日本のコンビニみたいな蛍光灯みたいに眩しいお店はありませんが、 同じくらいの大きさのスーパーは たくさん あります。
レバノンビールの説明
- almaza(アルマザ)とは アラビア語でダイヤモンド
- アルコール度数 4.1度
- 容量 330ml
- 原材料 ホップ、麦芽、糖類、コーン、カラメル
栓抜きが無い時は スプーンでテコの原理を3〜4箇所やれば開きます
チーズも美味い
近所のスーパーでヤギや羊のチーズを量り売りしてくれましたので、 地中海を眺めながら そのチーズを つまみに飲んでました。 チーズすごく美味しいです。 値段もそんなに高くない。
例えば この羊のチーズは 1kgで5USドルでした。 こうやって機械で削ってくれます。 この男性もすごく優しい人だった。 出稼ぎだと おっしゃっていました。
どこの店でもレバノンの通貨と アメリカドルが普通に使える感じでした。 アメリカを忘れたくてアラブに旅しているというのに・・。
品質もイイ。
イスラムは怖くない ひょうきんでフレンドリー
人の観光に勝手についてくる中年のパレスチナ人
レバノン杉を観にタクシーで山道を登っていたら 道路が途中で閉鎖されていた。冬だから雪や凍結など安全の為だと思われます。 せっかくなので その場で記念撮影。 下の写真は 左が僕。 右がレバノン人のタクシー運転手、真ん中が『僕も日本人と一緒に観光したい』と、 夜勤明けで1時間しか寝ていない状態で勝手について来た 運転手の友達のパン屋のパレスチナ人。かわいい。
この男性 いつも会うと まず最初に『楽しめている?』と聴いてくださる粋なパレスチナ人。
下の写真は そのパレスチナ人のパン屋さんと 彼の息子さん(右側) 僕がレバノン滞在中 この息子さんは何度も突然いなくなったと思ったら、僕のコーヒーを買いに行ってくれていました。 結局 レバノン滞在中は1度も自分でお金を出してコーヒーを買っていません。
僕が有名な鳩の岩で遊覧ボートに乗っていたら 何か視線を感じたので そっちを観ると 少年が笑顔でコッチを観ていた。
アラブ人の おもてなし
タクシー運転手さんのお家へ招待される
サブラ・シャティーラへ行きたくて ホテルに呼んでもらったタクシーの運転手さんが、 2〜3日 そのタクシーを利用したくらいの頃 『今夜はウチに晩ご飯を食べに来て』と言ってくれました。 レバノンの一般人の暮らしを観てみたかったし お邪魔させて頂くことにしました。
タクシー運転手さんの賃貸のお住まいを下から見上げたところ。
マンションの上層階へエレベーターで上がり タクシー運転手さんのお家に着くと、奥様と娘さんが準備しながら待っていてくれました。
ベランダでは羊の肉を焼いていてくださり 玄関に入る前から良い香り。 羊の臭みも 全くありませんでした。
この奥様 知らぬ間に次々と料理を出してくれて、知らぬ間に どんどん食器が片付いていく。 魔法の様でした。
おかず、コーヒーが空になると すぐに『おかわりは?』と言ってくださる。レバノンのコーヒーは 下の写真の様にコーヒー用の容器を使いコンロで作ります。 粉を入れて 上澄みをカップに注ぐ感じ。
最初に癖を感じた味は たぶんカルダモンだと思います。 あの風味は好みが分かれると思いまが、僕はすぐ慣れて お土産にまで数袋頂きました。 なぜか娘さんは『大人になるまでコーヒーはダメ』と父親(タクシー運転手)に止められていました。
日本へ帰る前 レバノンで頂いた物を並べてみた
ホテルの部屋で パッキングする前に 頂いた物を並べてみました。 これ全て たまたま乗ったタクシーの運転手さんと その運転手さんの奥様と、10代の娘さんからです。 日本にいるお母様へとアクセサリーやハンドバッグ、誰かが履いてと言って男性物の下着、マフラー、調味料、香辛料、お菓子、シナモン、荷物がスーツケースに入りきらないので カバン、などなど、 断って やっと この量です。
正直 ありがたいけど かなり困りました。理由は空港での荷物の超過料金の心配です。 行きは15kgだった荷物が 帰る頃には50kgくらいに。 空港で超過料金を取られなかったから 良かったですけど(笑) 今となってはアラブの良い思い出です。 ちなみに自分で買った物はワイナリーで買った自分と友人のワイン数本だけです。
このスカーフだけは たまたま遊びに来ていた このご家族の親戚の15歳の女性から頂きました。 出会って10分くらいで いきなり自分の首に巻いていたスカーフをくれたので驚きました。
オリーブオイルは空港でカバンを開けられてチェックがあり、 見つかると没収されますのでご注意ください。
粉もん大好き レバノン人
何だか 大阪に似てる 粉もん好きだし、おしゃべりが好きだし、よく笑うし、
パンは こうやって 日本で海苔を炙るように 炙る。
最後の食事
数時間後には日本に帰る飛行機に乗る 最後の昼食も このタクシー運転手さんの家で頂きました。 レバノンはパンも美味しい。 この娘さん ちゃんと服を着ていたのは 最初の日の数時間だけで、 そこからは ずっと このガウン姿だったのが 逆に気を使わなくて済み 嬉しかった。
この最後の食事の時も お腹がはち切れるほど頂いた後に『フルーツカクテルどうぞ』って言ってデザートが丼1杯 出て来た。 レバノンで おもてなしを受ける時は胃薬を忘れずに。
スーツケースに入りきらない物を入れるカバンまで頂く
飛行機に乗る 数時間前で この状態です。 家族みんなで どうやって たくさんの荷物を日本へ持って帰るのか考え中です。 気持ちは嬉しいんだけど、この方たち 飛行機に乗せる荷物に重量制限があること知っているのかしら。 とても断れる空気ではなく、もう この頃には どうにでもなれ〜 って気持ちになっておりました。
さらに 機内でお腹が空くといけないからと ピザをラップで包んでくれる奥様と娘さん
この ご家庭では 毎日 すごいご馳走になり過ぎました。 どのくらいスゴイ量かと言うと、毎晩 控えめに食べるように努力して すき家のメガ丼を2杯くらい頂いている感じでした。 何も お礼する物を持っていなかったので、最終日 娘さんに僕の高度計プレゼントしました。
2019年 年が明けた頃 この娘さんから『顔を忘れそうだ また遊びに来てください』とメールを頂きました。 ありがとう。 英語すら中1レベルなのに どこの国へ行っても 誰かが助けてくださる。 ありがたい。
子どもたちの笑顔が日本と違う
みなさんはサブラ・シャティーラって聴いたことありますか? たくさんのパレスチナ人が虐殺された地名 サブラとシャティーラです。 たくさんの行方不明者もおられ はっきりした人数はわかっていないそうですが3日間で3000人以上が虐殺されたとも言われています。 日本では全くと言ってもいいほど報道されていませんので、 是非 知って欲しいです。
日本のメディアはアメリカ・イスラエル寄りなので 本当にヤバい根っこは報道できない。
僕は 両方の場所に行ったのですが、 サブラは前を車で通り過ぎる程度で 写真を撮りませんでしたので、 下に出てくる写真は全てシャティーラです。
1982年9月16日午後6時、イスラエル国防軍の部隊がレバノンのサブラーとシャティーラにあったパレスチナ難民キャンプへ向けて照明弾を発射(レバノン軍団の要請に応えたものであるとされる)、これを合図としてレバノン軍団の民兵たちが一斉にキャンプに突入、虐殺を開始した。虐殺は2日間に及び、犠牲者数は762人から3500人と言われている。 Wikipediaより
シャティーラに到着すると、 まず この子たちに出会いました。 華やかな高級ホテルの前に豪華クルーザーが浮かぶヨットハーバーから車で15分くらいで この場所に到着した記憶です。
この赤い服を着た子が 自分の飲んでいる飲み物を差し出してくれました。 アラブの人は分け合うことが日常に染み込んでいる。 奪い合う人々は見習うところが たくさんあります。 その分け合う精神を知られたら都合か悪いから 日本では あまりアラブは報道されないのか? とも思えたりもしてきます。
シャティーラの子どもたちと写真を撮ろうとすると 数秒でこんな感じになります。 3日間で3000人くらいの人間が虐殺された場所とは思えない笑顔です。
これは何もシャティーラの子どもたちだけの話ではなく、レバノンの子どもたち皆に言える事なのですが、 明らかに日本人の子どもの笑顔とは何かが違う。 上手く伝えられないけれど、表裏が無いと言うか、自分だけ幸せになろうとしていないのが伝わってくると言うのか・・。
別に わざわざ観光名所に行かなくても こういう笑顔を観るためだけの為にアラブに旅してみるのもいいかもしれません。 しかし、 その後 日本に帰ってきて 親子で おでかけ中なのに 手にゲーム機を持っている子どもとかを見かけると ショックを受けますが・・。
難民キャンプと言っても 7階建てくらいのビルが密集していて 迷路の様になっていて 正直どこからがキャンプなのか、境界線は よくわからないです。 この場所は現地の人と行った方がいいです。
どうして土地を追われたパレスチナ人たちが暮らす地区シャティーラに大きな鍵があるのか解りますか? 日本の有名タレントが出てくるようなゴールデンタイムの旅番組でも まず知ることができないので、調べてみてください。 知ろうとしてください。
頭の上には 電線がこんな風になっている所もあります。 子どもたちが 感電しないのか、心配です。
とにかく みんな明るい。 壁の凹みが やや気になる。
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