ツイッターのタイムラインを眺めていたら レバノンのニュースが流れてきた。 酷い経済状況に対し 国民が抗議し、 政府に退陣を求めるデモが起こっているようです。
日本のテレビでアラブのニュースを見ていると、 デモの時にタイヤを燃やしたり、 爆弾でたくさんの人が亡くなったり、 恐ろしいニュースばかりが流れる。
しかし、ゴールデンタイムの旅番組には チラリとも出てこないレバノン。どんな国もマイナスと同じくらいプラスのことも毎日 起こっているはず。
何か おかしいとは感じませんか? なんで日本のニュースでは アラブを報じる時、 爆発映像のようなマイナスイメージの恐ろしい映像ばかり流れるのでしょう? 自然も多いレバノン、別にピクニック映像が流れたっていいと思うのですが?
だんだんと アラブの国って本当に怖いのか?という気持ちが 自分の中から湧き上がる気持ちが強くなってきたのです。
と、いうわけで、2013年1月に ひとりレバノンへ。
自分の目で確かめてみたかったのです。
結論を先に言うと、 やはり 日本のテレビで知らされることとは真逆で、 ボクが出会った人たちは優しい人ばかりで、1度も怖い目には遭いませんでした。 頭にヒジャブを巻いてる イスラム女性が 大阪のおばちゃんみたいに喋ることも 知ることができました。
やっぱり 行かんと わからん。 何事も。
と、いう訳で 今回はレバノンの首都ベイルートに滞在してに感じたこと をお伝えしたいと思います。 これからアラブに行ってみようと思われている人の 何か お役に立てれば幸いです。
日本からの距離は約9000km
日本から9000kmくらい離れています。
僕は中部国際空港からエティハド航空で北京・アブダビ経由で22時間くらいかけて行きました。
- 中部国際空港(NGO) → 北京(PEK) 乗り継ぎ 1時間20分(機内で待った記憶)
- 北京(PEK) → アブダビ(AUH) 乗り継ぎ 3時間15分 (一気にアラブのムード)
- アブダビ(AUH) → ラフィク・ハリリ(BEY)
アブダビの空港は デザインと空間が面白い。 急にアラブの雰囲気を感じられました。

左隣の窓際に座られてた女性は エジプトに行かれるそうで、 ここアブダビで お別れしました。いい旅を。
お祈りの場所を示す 看板を 色んな場所で 目にしました。
窓からは砂漠の向こうの方に 変わった形の高層ビルが見えます。

長いフライトですので、 こういう時にマイルを使って ビジネスクラスで旅するのも いいかもしれません。


日本人と全く会わなかった
ボクは9日間レバノンに滞在していたのですが、 レバノンから日本へ帰る途中 アブダビで乗り継ぎをするまで 1度も日本人に会いませんでした。 街中で すれ違ったりは しているのかもしれませんが。 こんな経験は 初めてでした。
帰りのアブダビ空港で 久しぶりに日本語を聴いた時は、 どこの国へ行っても あまり日本人と会いたくないボクですら 少し ほっとしたのを憶えています。 日本人観光客とあまり会いたくない人には おすすめの国レバノンですが、 日本人がいないと心細くなる人には ちょっと向いていないかもしれません。
しかし、日本人はいなくても 人間はいます。 人間は磁石のような生き物 良い人には 自然と良い人が寄ってきます。 これは『ひとりで海外に行って危険じゃないの?』と言ってくる心配性の人たちにボクがいつも言うセリフです。
レバノンの大きさは岐阜県くらい
あなたは ひょっとして 日本は小さな国だと思っていませんか? 実は日本って すごく大きな国なんです。 レバノンは岐阜県くらいの大きさで人口600万人くらいの国です。 ですので 車で日帰りで国の端っこまで行くことも できます。
しかし、冬は雪で通行止めになる道もあるので 山への計画を立てる時はご注意ください。
下の写真は レバノン杉を観に行こうと山道をタクシーで登っていたら閉鎖されていた写真です。

お時間のある時に 日本より 小さな国が どのくらいあるのか 1度は調べてみてください。 例えばヨーロッパではイギリスもイタリアも日本より小さいです。
普段 そんな風に思いませんよね? ボクたちは 意外と 知らぬ間に色んな思い込みをして生きてしまっているのかもしれません。

昼と夜の気温差が激しい
レバノンは昼と夜の気温差が激しいです。 ボクがレバノン滞在中の1月は 昼は18℃くらいあり長袖のシャツ1枚でいけるかな? っと思ったりするのですが、 夕方くらいから10℃近くまで気温は下がってきて コートなしではいられないくらい寒くなってきます。 毎日 この繰り返しでした。 下の写真の様に ヒョウが降る日もありました。

何か脱ぎ着するのが楽な服装で行かれるといいと思います。 ボクが行った1月は とても寒くて雨が多かったので 雨具の代わりになるような服が1枚あると 風邪を引かずに済むと思います。
海の近くは 風が強く、 傘だと けっこう横から濡れました。
レバノンは海に面していますし、 山も多いです。 海や山に行かれる時は 平地より寒くなってもよい服装でお出かけください。
山にドライブに行くと標高1000m以上の場所を走ります。 例えば ここは1140m ちょっと断層を観ながら一服した場所です。山登りする時の 高度計がけっこう役に立ちました。
下の写真はスキー場の近くをドライブ中に撮った写真ですが 標高は1530mです。
ちなみに山は100m登る毎に気温は0.6度 気温が下がります。

美人が多い
ベイルートの空港に到着し、優しいタクシーの運転手さんにホテルまで送って頂くと、まずフロントの男性がファッション誌に載ってるくらいのハンサムな20代の男性。
その男性に部屋まで案内して頂き 簡単な説明を聴いて、街へ散歩しに行くことにしました。 ホテルを出て 有名なムハンマド・アミーン・モスクまで歩くことに。
すると すれ違う人、道を尋ねた相手、立ち寄ったカフェの店員、カフェの前を通り過ぎる老人も 子ども、 みんなファッション誌に出てくるような美形の多さに 驚く。 大げさに言っている訳じゃなくて 本当に美人が多いんです。 そしてベイルートはオシャレな人が多い。 お年寄りも子どもも 襟付きのシャツを着られている割合が多い気がしました。
ベトナムでも感じるのですが、 フランスの植民地だった所って、 オシャレを気遣う人が多い気がします。 ベトナムもレバノンも オシャレさんが多いので 襟付きのシャツを1枚は 持って行かれることを おすすめします。


お酒 買えます
イスラム教徒の人が多い国だから お酒は簡単には買えないかな? と思っていたのですが、宿泊したホテルの すぐ近所の小さいスーパーとかで普通に買えました。 ウイスキー、ビール、ワイン 何でもあります。
日本のコンビニみたいなのは なく、この様なのスーパーが あっちこっちにある感じです。

赤ワインを買ったら こちらの優しい店主が栓抜きを くれました。
下の写真は レバノンビールです。 滞在中 たくさん いただきました。あっさり系です。

線抜きが ない時は スプーンなどで テコの原理で 蓋のシワを伸ばすイメージで 開けましょう。
レバノンビール(アルマザ)の説明
- almaza(アルマザ)とは アラビア語でダイヤモンド
- 生産者 Brasserie Almaza (ブラッセリーアルマザ社)
- アルコール度数 4.1度
- 容量 330ml
- 原材料 ホップ、麦芽、コーン
チーズが安くて美味しい
上の写真のスーパーでヤギや羊のチーズを量り売りしてくれました。地中海を眺めながら そのチーズを つまみにレバノンワインやレバノンビールを いただきました。 このチーズが すごく美味しいんです。 値段もそんなに高くない。
例えば この羊のチーズは 1kgで5USドルでした。 こうやって機械で削ってくれます。 この男性もすごく優しい人だった。 出稼ぎだと おっしゃっていました。

どこの店でもレバノンの通貨と アメリカドルが普通に使える感じでした。
米ドルを忘れたくてレバノンを旅しているというのに。
チーズは品質もイイです。 塩辛くなくて 素材の味が生きているのが良かったです。

レバノン人は よく喋り よく笑う
人の観光に勝手に ついてくるパレスチナ人
レバノン杉を観にタクシーで山道を登っていたら 道路が途中で閉鎖されていました。 冬だから雪や凍結など安全の為だと思われます。 せっかくなので その場で記念撮影。
下の写真は 左が僕。 右がレバノン人のタクシー運転手、真ん中がレバノンに住んでるパレスチナ人『ボクも日本人と一緒に観光したい』と、 夜勤明けで1時間しか寝ていない状態で 勝手について来た 運転手の友達のパン屋さん。
このパレスチナ人男性 いつも会うと まず最初に『レバノンを愉しめている?』と聴いてくださる。

下の写真は そのパレスチナ人のパン屋さんと 彼の息子さん。

ボクがレバノン滞在中 こちらの息子さんは何度も突然いなくなったと思ったら、屋台に ボクのコーヒーを買いに行ってくれていました。 結局 レバノン滞在中 ボクは1度も自分でコーヒーを買っていません。
お金を 出しても 受け取ってくれませんでした。
ちなみに レバノンのコーヒーは 少し仁丹みたいな味がします。 たぶんカルダモンだと思います。最初は 癖を感じますが すぐに慣れてきます。
鳩の岩で
ボクが有名な鳩の岩で 遊覧ボートに乗っていたら 何か視線を感じたので そっちを観ると 少年が笑顔でコッチを観ていた。

レバノンの子どもは すごく可愛いです。 上手く表現できませんが、日本人の子よりもシンプルに純粋な感じがします。

フランスに支配されていたからでしょうか? アラン・ドロンの子ども時代みたいな 少年が けっこう おられる。 これはベトナムの街を歩いていても感じます。 支配って 色んなことを残しますよね。

もう一人 出てきた。

おもてなし文化
タクシー運転手さんのお家へ招待される
サブラ・シャティーラへ行きたくて ホテルに呼んでもらったタクシーの運転手さんが素敵な人だったので、その後も その人のタクシーで あっちこっち 出かけていました。
すると2〜3日した頃、『今夜はウチに晩ご飯を食べに来て』と お誘いくださいました。 レバノンの一般人の暮らしを観てみたかったし、お邪魔させていただくことにしました。
下の写真は タクシー運転手さんの賃貸アパートを下から見上げたところ。

ちなみに このタクシー運転手さんジャン・レノに似てます。
エレベーターで上がり タクシー運転手さんの お家に着くと、奥様と娘さんが準備しながら待っていてくれました。 娘さんもフランス人みたいな お顔されていますね。

ちなみに レバノンでは ありがとうを アラビア語の『シュクラン』以外に 『メルシー』とも言われていました。 これもフランス統治時代の名残と感じました。
ベランダでは羊の肉を焼いていてくださり 玄関に入る前から良い香り。 羊の臭みも 全くありませんでした。 見えないところで かなり仕込みなどに時間を割いてくださったのだと思います。

こちらの奥様が 知らぬ間に次々と料理を出してくれて、知らぬ間に どんどん食器が片付いていく。無駄な動きが一切なく 魔法の様でした。 流し台の お腹あたりにビニール袋をぶら下げていて ゴミ処理も同時進行してゆく感じ。
テキパキしているのに 慌ただしさを一切 感じさせないのがスゴイと感じました。
出会ってから15分くらいすると 女性たち 関西のおばちゃんみたいに 喋り出した。

そして 娘さんは 『部屋着に着替えてきていい?』と言い 自分の部屋へ お着替えに 行かれた。 (笑)
おかず、コーヒーが空になると すぐに『おかわりは?』と言ってくださる。レバノンのコーヒーは 下の写真の様にコーヒー用の容器を使いコンロで作ります。 粉を入れて 上澄みをカップに注ぐ感じ。
このコーヒーのカルダモンの風味は 好みが分かれると思いまが、ボクは すぐ慣れて お土産にまで数袋頂きました。 味は 少しピリっとした 生姜のような 仁丹のような感じです。
なぜか娘さんは『大人になるまでコーヒーはダメ』と父親に止められていました。

カルダモンの 効果
消化促進、口臭予防、リラックス、脳活性化、精神を安定させる など。
日本へ帰る前 レバノンで頂いた物を並べてみた

レバノンの首都 べイルートで お世話になった ボクの部屋です。
ホテルの部屋で パッキングする前に 頂いた物を並べてみました。 これ全て レバノンで頂いたものです。 日本にいる お母様へとアクセサリーやハンドバッグ、誰かが履いてと言って男性物の下着、マフラー、調味料、香辛料、お菓子、シナモン、荷物がスーツケースに入りきらないので カバン、などなど、 断って やっと この量です。
正直 ありがたいけど かなり困りました。 理由は空港での荷物の超過料金や 何かが検査に引っかからないかの心配です。 行きは15kgだった荷物が 帰る時には50kgくらいに。 空港で超過料金を取られなかったから 良かったですけど(笑) 今となってはアラブの良い思い出です。 ちなみに自分で買った物はワイナリーで買ったワイン数本だけです。
このスカーフだけは たまたま遊びに来ていた こちらの ご家族の親戚の15歳の女性から頂きました。 出会って10分くらいで いきなり自分の首に巻いていたスカーフをくれたので驚きました。

オリーブオイルは空港でカバンを開けられてチェックがあり、 見つかると没収されますのでご注意ください。
粉もん大好き レバノン人
何だか 大阪に似てる 粉もん好きだし、おしゃべりが好きだし、よく笑うし、

パンは こうやって 日本で海苔を炙るように 炙る。

直に 置くあたりが 粋。
最後の食事
数時間後には日本に帰る飛行機に乗る 最後の昼食も このタクシー運転手さんの家で頂きました。 レバノンはパンも美味しい。 この娘さん ちゃんと服を着ていたのは 最初の日の数十分だけで、 そこからは ずっと このガウン姿だったのが 逆に気を使わなくて済み 嬉しかった。

この最後の食事の時も お腹がはち切れるほど頂いた後に『フルーツカクテルどうぞ』って言ってデザートが丼1杯 出て来た。 レバノンで おもてなしを受ける時は胃薬を忘れずに。

スーツケースに入りきらない物を入れるカバンまで頂く
飛行機に乗る 数時間前で この状態です。 家族みんなで どうやって たくさんの荷物を日本へ持って帰るのか考え中です。 気持ちは嬉しいんだけど、この方たち 飛行機に乗せる荷物に重量制限があること知っているのかしら。 とても断れる空気ではなく、もう この頃には どうにでもなれ〜 って気持ちになっておりました。

さらに 機内でお腹が空くといけないからと ピザをラップで包んでくれる奥様と娘さん

こちらの ご家庭では 毎日 すごいご馳走になり過ぎました。 どのくらいスゴイ量だったかと言うと、毎度 すき家のメガ牛丼を2杯くらい頂いている感じでした。 本当に 胃が裂けるかと思いました。
お皿が 空になると 次々と料理を乗っけてくださるので、 上手に断る技術も大切だと知りました。
アラブに お出かける人は 胃薬を。
何も お礼する物を持っていなかったので、最終日 娘さんにボクの高度計プレゼントしました。

2019年 年が明けた頃 こちらの娘さんから『顔を忘れそうなので 早く また遊びに来てください』とメールを頂きました。 ありがとう。


子どもたちの笑顔が日本と違う
みなさんはサブラ・シャティーラって聴いたことありますか? たくさんのパレスチナ人が虐殺された地名 サブラとシャティーラです。 たくさんの行方不明者もおられ はっきりした人数はわかっていないそうですが3日間で3000人以上が虐殺されたとも言われています。 日本では全くと言ってもいいほど報道されていませんので、 是非 知って欲しいです。
日本のメディアはアメリカ・イスラエル寄りなので 本当にヤバい根っこは報道できない。
ボクは サブラもシャティーラも 両方の場所に行ったのですが、 サブラは前を車で通り過ぎる程度で 写真を撮りませんでしたので、 下に出てくる写真は全てシャティーラです。
1982年9月16日午後6時、イスラエル国防軍の部隊がレバノンのサブラーとシャティーラにあったパレスチナ難民キャンプへ向けて照明弾を発射(レバノン軍団の要請に応えたものであるとされる)、これを合図としてレバノン軍団の民兵たちが一斉にキャンプに突入、虐殺を開始した。虐殺は2日間に及び、犠牲者数は762人から3500人と言われている。 Wikipediaより
シャティーラに到着すると、 最初に 下の写真の子どもたちに出会いました。 華やかな豪華クルーザーが浮かぶヨットハーバーやフォーシーズンズホテル ベイルートのあるエリアから5kmの場所です。
この赤い服を着た子が 自分の飲んでいる飲み物を ボクに差し出してくれました。 アラブの人は分け合うことが日常に染み込んでいる。 奪い合う人々は見習うところが たくさんあります。 その分け合う精神を知られたら都合か悪いから 日本では あまりアラブは報道されず、マイナスイメージばかり報道されるのでは?とも思ってしまいます。

シャティーラの子どもたちと写真を撮ろうとすると 数秒でこんな感じになります。 この場所が1982年の9月16日から18日の間 血の海になったのです。

これは何もシャティーラの子どもたちだけの話ではなく、レバノンの子どもたち皆に言える事なのですが、 明らかに日本人の子どもの笑顔とは何かが違う。 上手く伝えられないけれど、表裏が無いと言うか、自分だけ幸せになろうとしていないのが伝わってくると言うのか・・。
別に わざわざ観光名所に行かなくても こういう笑顔を観るためだけの為にアラブに旅してみるのもいいかもしれません。
しかし、 その後 日本に帰ってきて せっかくの観光地なのに手にゲーム機を持っている子どもとかを見かけると ショックを受けますが・・。
難民キャンプと言っても 7階建てくらいのビルが密集していて 迷路の様になっていて 正直どこからがキャンプなのか、境界線は よくわからないです。 この場所は現地の人と行った方がいいです。
どうして土地を追われたパレスチナ人たちが暮らす地区シャティーラに大きな鍵があるのか解りますか? 日本のテレビのゴールデンタイムの旅番組からは まず知ることができないので、調べてみてください。 知ろうとしてください。



頭の上には 電線がこんな風になっている所もあります。 子どもたちが 感電しないのか、心配です。

とにかく みんな明るい。 壁の凹みが やや気になる。






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