ボクが 子どもの頃 ケガすると当たり前の様に 膝や肘に塗っていた薬 『赤チン』が製造終了だと知りました。
なんか 1つの時代が終わるように感じます。
なので 記念に1本 買いました。
と言う訳で 本日は 昭和の時代の 庶民の塗り薬 赤チンの話です。
それでは はじまり はじまり
なんで製造中止に・・?
製造する時に発生する水銀が 水俣病の原因と断定された事などもあり 急速に売り上げが少なくなった様です。 しかし、 1990年代頃 親戚の家でケガした時、 おばさんが『これ、世間では毒だと言われているけど、塗ると ケガが早く治るから』 と言って塗ってもらったのを思い出します。 なので 1本 記念に買っておくことにした訳です。当時 どのように使っていたか
学校で使う
ボクが小学生の頃は 普通に保健室に置いてありました。 ガラスの容器のステンレスのフタを開けると 中には すでに切手サイズのコットンに染み込ませた状態で たくさん 入っていました。
自分がケガしたり、友達がケガすると 保健室で先生が 消毒した後 そのコットンに染み込ませた赤チンを ピンセットで傷口に塗ってくれました。
あのピンセットの先っちょが ジュクジュクの傷口に突き刺さらないか ヒヤヒヤしたのはボクだけでしょうか? (笑)
今は どうだか知りませんが、 昔は何もかも今より ゆるく、 教師が授業開始して15分後くらいに教室に来るのが当たり前だったし、 保険室の先生が保健室にいないことも当たり前だったので、 そういう時は 勝手に そのガラスの容器から赤チンを ピンセットで取り出して 自分たちで塗ったもんです。
でも 今考えれば あの保健室のピンセットって、 泥まみれで遊んでいる小学生が けっこうベタベタ触っていた訳ですよね? なので 保健室の先生が そのピンセットを 毎日 消毒してくれていなければ けっこう雑菌まみれだったかもしれませんね(笑)
家で使う
世の中に 製造過程で水銀が発生すると知らされる頃までは 薬局で普通に買えました。 各家庭の救急箱には 普通に1本 入っているような時代でした。
先ほど 親戚のおばさんに塗ってもらった話をしましたが、 それよりも さらに昔の1980年代あたりは 消毒液で消毒したあと、 赤チンを塗るのが一般的でした。 気のせいかもしれませんが 塗ると ジュクジュクした傷でも サラッとして 早く治るような感じがしたものです。
『もう オレ 赤チン ええわ〜』って言って 着けない子も けっこういました。 その時の 傷の具合や 気分で 塗るか 塗らないかも 自分たちで判断したものです。
箱を開けてみました
赤と白の シンプルな箱がかわいいです。 上から開けたかったのですが、 開けにくかったし、 箱を綺麗に取っておきたいので 下から開けました。
50mlのプラスチック容器と ガンダムのプラモデルに色を塗る時の様な筆が入っています。 この筆のような物は 1度 使った後 どうやって保管するのでしょう。
成分・効能・用法・容量
患部に 1日 数回 塗ってくださいというシンプルな説明が素敵です。
この裏側の使用上の注意も 観てみましょう。
① この赤チン または この成分(マーキュロクロム)でアレルギー症状の起こったことのある人は 注意。
② 唇や目の周りなど敏感な所には 使わないでと書かれています。
③ ヨードチンキと 同時に使用しないでください。などと書かれています。 そもそも ヨードチンキと赤チンは 別物だったのですね? 勉強になります。
本日は 赤チンを語ってみました。
では また
おわり
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